【安土桃山・江戸時代】城郭建築・草庵風茶室・好寄屋造【桂離宮】の特徴




インテリアの歴史

安土・桃山時代は、鎌倉・室町から始まった、書院造が完成した時代です。

城郭建築は、天守閣をシンボルとしています。
安土城、大阪城、姫路城、伏見城などがあげられます。

草庵風茶室は、四畳半から一畳台目までの小空間で、客は縦横60~70㎝程度のにじり口から出入りしていました。
千利休がつくった待庵。織田有楽がつくられた如庵が有名です♪

数寄屋造は、書院造に草庵風茶室の手法を取り入れた建築様式です。
桂離宮、修学院離宮、西本願寺飛雲閣があげられます。


今回は、『【安土桃山・江戸時代】城郭建築・草庵風茶室・好寄屋造【桂離宮】の特徴』と題しまして紹介します。



安土桃山時代

16世紀中期のポルトガルとスペインとの貿易である南蛮貿易がはじまった時代です。
また、織田信長が登場した時代です!

安土桃山時代は、安土が織田信長の時代で、桃山が豊臣秀吉の時代と覚えておきましょう!

城郭建築

安土桃山時代は、城郭建築の時代です!

城郭建築は、はじめの方は、山城であったが、次第に平山場や平城へと変化するようになりました。

本丸には天守閣が建てられるようになりましたね♪

城郭とは、天守、土蔵、住居、塀などからなる建造物の総称です。
敵の攻撃を防御するため様々な仕掛けがなされています。

当時の城郭建築は、天守閣をシンボルとしています。

安土城、大阪城、姫路城、伏見城などが建設されました。

他にも、松本城、彦根城、犬山城などがあります。

安土城は、現在の滋賀県近江八幡市安土町にあった山城です。

姫路城は、別名白鷺城とも呼ばれています。国宝の四天守の1つです。日本の城郭で唯一の世界遺産です。

大阪城は、正しくは大坂城といいます。大阪府大阪市中央区にあります。

伏見城は、現在の京都府京都市伏見区桃山地区にあった城です。

松本城は、国宝の四天守の1つです。長野県松本市にあり、豊臣秀吉が徳川家康を監視するために建てられました!

彦根城は、国宝の四天守の1つです。滋賀県彦根市にある城です。

犬山城は、国宝の四天守の1つです。四天守の中では最も古い形式とされています。

ちなみに現存している城のイラストは下に!!

居館として書院造が建てられることが多く、城の内部は狩野派などの金箔や青や緑を彩色する濃絵の障壁画などの豪華な装飾が施されました!

居館は、領主が普段から住む、また拠点とする館です♪

ちなみに、狩野派には、狩野永徳、狩野山楽らがいます。

狩野永徳の水墨画と大和絵の融合である新しい装飾画の大成がありました!
有名な作品として、唐獅子図屏風があります。

狩野山楽は、永徳の弟子で松鷹図や牡丹図があります。

狩野派以外にも山水図屏風の海北友松、松林図屏風の長谷川等伯もいます。

江戸時代初期のものでは、二条城二の丸御殿もこうした特徴をもっています。

強烈な装飾と空間を細かく分けることによって権力を表現していました。それまでの日本にはなかった新しい美意識であり、人間の意志の表現としてのインテリアデザインを象徴しています。

草庵風茶室

茶の湯の文化が進展したことでも注目されました。

桃山時代は、草庵風の茶が広まりました。

ちなみに、草庵とは、藁や茅などで屋根を葺いた粗末で小さな家のことです。
草庵風は、丸太や丸みを残した面皮柱、土壁、下地窓などの質素な自然素材でつくられた茶室です。

下地窓

創始者は、村田珠光によるものとされているが、茶の湯として完成させたのは千利休である。

村田珠光は、室町後期以降、茶室は6畳が基本とされていたのを4畳半にして新しい茶の湯の世界を広めました!

千利休は、堺の商人で茶の湯の礼儀を定め、茶道として確立しました。

正確には、茶の湯は、室町の禅僧である村田珠光と、その弟子である茶人である武野紹鴎によって、茶道という精神的な作法にまで高められました!

その後に、紹鴎の弟子である千利休によって、精神性を追求する詫び茶が完成しました。

茶の湯は、簡素静寂を重んじる侘び茶となって、建築、庭、道具、茶花などから立居振舞に至るまでを含めた総合的な芸術に到達しました!

侘び茶を楽しむ場として、草庵風茶室ができたよ!

草庵風茶室は、四畳半から一畳台目までの小空間で、客は縦横60~70㎝程度のにじり口から出入りしていました。ちなみに、台目は、普通のものより45㎝程度短い畳のことをいいます。

●待庵は、京都府大山崎町にあります。国宝3茶室の1つです。妙喜庵の書院の南側に置かれています。

千利休がつくった妙喜庵待庵と覚えておきましょう♪

千利休がつくったものとして唯一現存している茶室になります。

千利休がつくったとされる2畳の茶室、1畳の次の間、1畳の勝手からなる待庵は、現存する日本最古の草庵風茶室です。

なんといっても、茶室は、2畳の極小空間であった。

高さの違う天井の組み合わされ掛け込み天井になっています。

●如庵は、愛知県犬山市にあります。もともとは、京都の建仁寺正伝院にありましたが、明治以降に場所を転々として、犬山城の東にある有楽苑に移築されました。国宝3茶室の1つです。

織田信長の弟の織田有楽によってつくられた如庵も有名です。

ちなみに織田有楽は、織田信長の実弟です♪

織田有楽は、千利休の「待庵」の2畳という究極の最小限空間の狭い茶室をお客さんを苦しめるとして、もう少しゆったりとした小間の茶室をつくりました。

待庵の間取りには、「二畳半台目」である通常の畳の2畳+半畳+台目畳を採用しました!

その他にも、古田織部が手掛けた燕庵も有名ですね♪

茶室は、極端ぬ狭く方向性のない空間を、掛け込み天井などの組み合わせによって、より複雑な平面構成、洞床の利用がなされました!

洞床

また、様々な素材を用いたり、技法で仕上げたりしていました。
そして、明かり障子の効果的な配置もあります。

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江戸時代

豊臣秀吉ののちに天下統一を果たした徳川家康が17世紀初頭に江戸幕府を開きました!

徳川時代の誕生ですね♪

家光の代に鎖国令が出されたため、日本の文化は世界への視野を閉ざしてしまった時代でもあります。

権現造

桃山文化の影響で、豪華な装飾彫刻の霊廟建築である権現造が用いられるようになります。

特に、徳川家康を祀った日光東照宮は、本殿と拝殿との間を石の間という一段低い建物で繋いで一体化されているのが特徴です。

家康が権現様と尊称されたことから、このような様式を権現造と呼ぶようになった。

権現造と呼ばれる建築様式は、多数の棟が複雑に連なる屋根の形式なので、八棟造とも呼ばれています。

ちなみに、「八」は多数を意味しています!

豪華で優美な造りで、日光東照宮も建物の本体が見えないほどの彫刻や装飾が施される。

次に紹介する簡素な桂離宮と対比して述べられることが多いです。

数寄屋造

数寄屋造は、数寄の語源には、和歌や茶の湯、生花など風流を好む「好き」の当て字からきています!

数寄屋は「好きに任せてつくった家」を意味しています。

書院造に草庵風茶室の手法を取り入れた建築様式です。

数寄屋造は書院造を基礎にしていることから、正式には数寄屋風書院造といいます。

書院造の決まりごとにとらわれず、主人の好みに合わせて自由にアレンジされています。

数寄屋造と書院造の違い…

書院造:座敷飾り、折上格天井、角柱など

数寄屋造:竿縁天井、土壁、面皮柱など

こっちもおすすめ

書院造についてはこちらの記事をどうぞ!!

数寄屋造の天井の形状として、平天井、傾斜天井(勾配天井)、掛込天井、船底天井などがあります。

平天井:水平になっている天井

傾斜天井:屋根の勾配に合わせて斜めに傾斜している天井

船底天井:中央部分が両端より高くなっていて船底を逆さにしたような形の天井

掛込天井:平天井と傾斜天井が組み合わされた天井

数寄屋造には、詫び寂、きれいさびと呼ばれる2つのスタイルがあります。

詫び寂は、床柱に丸柱か面皮柱が使われ、欄間や建具は単純だがしゃれている意匠のものが多かったです。

丸柱は、丸太そのものや、丸太の曲面を生かしています。

面皮柱は、四隅の樹皮を残しつつ、四面を削って美しい木目を浮き上がらせています。

木肌の風合いや自然のままの姿を残しておくことで、室内は落ち着いた雰囲気になります!

日本の美意識のすばらしさが伺えます(^▽^)/質素で静かなもので雅ですね♪

代表例は、桂離宮や修学院離宮があげられます。

◆桂離宮は、1615年、旧桂宮家(八条宮家)の別荘として造営されました!

京都市西京区にあります。

約7haの広大な敷地の中央に池があり、中島、築山、洲浜、天橋立などを配している池泉回遊式庭園が広がっています。

池の北西側に古書院、中書院、新御殿の3つからなる書院群が建ち並んで更に、4棟の茶亭が点在しています。

桂離宮の新御殿と古書院

技巧的でありながら風雅な庭園建築は「日本美のシンボル」とたたえられています。

ドイツ人建築家のブルーノ・タウトによって、その美しさが世界に発信されました!

きれいさびは、床柱に角柱が使われていました。

建具には、狩野派による美しい豪華な絵で彩られました。
欄間は、一枚板の両面に異なる彫刻が施されていて素敵でした!可憐な建築です♪

代表例は、西本願寺飛雲閣などがあります。

数寄屋造は、書院造の形式に縛られることなく、さまざまな面で多用に展開されていきました。

のちの、日本の住居の基本を創り上げました。

そして、新しい自由な発想を取り入れた意匠が床や違い棚などに見られて楽しいですよ♪

そんな中でも、桂離宮の桂棚、修学院離宮の霞棚、醍醐寺三宝院奥宸殿の醍醐棚が天下の三名棚といわれていて有名です!

桂離宮の桂棚 修学院離宮の霞棚
醍醐寺三宝院奥宸殿の醍醐棚

それぞれ、独特な面白味がある構造となっています。

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民家

江戸時代の中期には、町民文化が栄えました。
商店と住居が一緒になった町屋が発展しました。

ちなみに、町屋は、商業や工業を営む町人の住宅間口が狭く奥行が長いのが特徴です!

経済力をもつ地方の名主などの住まいを中心に風土に合ったさまざまな民家が生まれました。

民家について動画で学びたい方はこちら

農家の建築には、地方によってまちまちです。

岩手県の中北部を中心に雪深い東北や日本海側の地域などに多く分布している「曲り家」、新潟県・秋田県などの北陸から東北地方の日本海沿岸に分布し積雪の多い地方に見られる「中門造」、関東西部・山梨県などの北関東などに分布している「かぶと造」、長野県(信州地方)を代表する「本棟造」、富山県・岐阜県などの北陸の豪雪地帯に分布する「合拳造」、奈良県などの大和〜河内地方にかけて見られる「大和棟」、佐賀県などの九州地方に分布する「くど造」が代表的なものです。

曲り家:曲家、曲がり家、曲り屋、曲屋、曲がり屋と表されます。棟がL字型に曲がっています。
主屋と馬屋が一体となった住宅。

中門造:馬の飼育のために発展した形で、南側に厩(うまや)が突き出しているのが特徴です。
中門とは、前方にL字型に突き出している部分のことをいいます。

かぶと造:かぶと(兜)のような形状の屋根に特徴があります。大きな窓によって屋根裏の通風と採光をはかっていました。

本棟造:屋根の勾配がゆるやかで、大きな切妻屋根の棟の上に「雀踊」という独自の形の棟飾りがついています。板葺きの妻入になっています。

合掌造:60度ほどの急勾配の屋根をもち、巨大な切妻の茅葺き屋根をもっています。

大和棟:高塀造ともいいます。勾配の強い茅葺きの切妻屋根の両端に一段高い又は、低い瓦をのせて、ひさしがついています。

くど造:大きな2棟をコの字につないで屋根を低くし、台風などの強風に備えたつくりです。

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工芸

江戸時代の工芸は、贅沢を禁じた政策の影響もあって、小さなものに技巧が発揮されるという傾向がありました。

17世紀後期の元禄の頃には、尾形光琳を中心とする琳派が、装飾画や工芸分野で影響力を持つようになりました。

庶民の生活風俗を描いた浮世絵が各地で発達して普及しました!

菱川師宣の「見返り美人図」がよく知られています。

家具では、箪笥の発達と普及がはじまりました。火事の時に持ち出しやすいように、二段重ねのたんすなども広まった!

まとめ

今回は、『【安土桃山・江戸時代】城郭建築・草庵風茶室・好寄屋造【桂離宮】の特徴』と題しまして紹介しました。

安土桃山時代

城郭建築は、天守閣をシンボルとしています。
安土城、大阪城、姫路城、伏見城、松本城、彦根城、犬山城などがあります。

草庵風茶室は、四畳半から一畳台目までの小空間で、客は縦横60~70㎝程度のにじり口から出入りしていました。
千利休がつくった待庵。織田有楽がつくられた如庵が有名です♪

江戸時代
権現造は、豪華な装飾彫刻の霊廟建築です。
特に、徳川家康を祀った日光東照宮が有名です。
数寄屋造は、書院造に草庵風茶室の手法を取り入れた建築様式です。
桂離宮、修学院離宮、西本願寺飛雲閣があげられます。
民家は、「曲り家」、「中門造」、「かぶと造」、「本棟造」、「合拳造」、「大和棟」、「くど造」が代表的なものです。
工芸は、17世紀後期の元禄の頃には、尾形光琳を中心とする琳派が、装飾画や工芸分野で影響力を持っていた。

以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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