【明治・大正時代】洋風建築・中廊下式住宅など建築・住宅や建築家について!

インテリアの歴史




こんにちは!Kanaです。

明治から大正時代には、西洋との関わりがなされて、関東大震災によって鉄筋コンクリートが普及していく時代になってきました。

また、住宅のありかたの見直しがなされた時代でもあります。

洋風建築では、工部大学校に招かれたジョサイア・コンドルが教育に携わりました。鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館などいくつもの建築の設計に携わった。

中廊下式住宅の特徴は、中廊下を挟んで日当たりの良い南側に家族の生活空間を、北側には水回りと使用人の生活空間を配置しました。

フランク・ロイド・ライトは、アメリカの建築家で旧帝国ホテルの設計にあたりました!

今回は、『【明治・大正時代】洋風建築・中廊下式住宅など建築・住宅や建築家について!』と題しまして紹介します。




明治時代

明治時代は、大政奉還の後に、明治の新政府が目指したのは、西洋のような近代国家でした。

そして、本格的な洋風建築技術の導入のすることであった。
そのため、多くの外国人が日本に招かれました(⌒∇⌒)

洋風インテリアといす座式の導入の過程である時代なので、和風、ゆか座式と拮抗して進展していきました。

 

建築

建築では、工部大学校に招かれたジョサイア・コンドルが当時の造家学科の教育に携わりました。

ジョサイア・コンドルは、イギリスのロンドン大学などで建築を学びました。

19世紀から20世紀初頭には、鹿鳴館、ニコライ堂(東京復活大聖堂)、三菱一号館などいくつもの建築の設計に携わりました(⌒∇⌒)

ニコライ堂  三菱一号館

政府が宮庁や学校の建築に西洋式を採用したことで、全国各地に洋風建築が建てられた!

本格的なものとは言えない大工や棟梁が苦労して洋風らしい建物が建てられていったことから、擬洋風建築と呼ばれています。

住宅では、1860年代の江戸時代末期に長崎の丘の上に建てられたグラバー邸が洋風建築の先駆けとなりました。

明治維新に深く関わったトーマス・グラバーの活動拠点!

 

立石清重(棟梁)の旧開智学校にも洋風建築がが見られます。

擬洋風建築は、明治も20年を過ぎると、つくられなくなりました!!

 

19世紀末には、ジョサイア・コンドルが設計した岩崎邸なども建ちました。その後、各地西洋館が見られるようになりました。

旧岩崎邸は、三菱創設者の岩崎家の本邸として建てられました。

 

ベランダのある西洋館としては最古のつくりなんですよ♪

 

 

コンドルの教え子で、第1回卒業生の辰野金吾、片山東熊、曾根達蔵らも著名な建築物を手掛けました!

●辰野金吾は、工部学校造家学科を主席で卒業後、イギリスに渡って、ヨーロッパの建築を学びました!
帰国後は、帝国大学の教職につきました。
代表建築として、日本銀行本店、東京駅駅舎などを手掛けた建築家です。​​

日本銀行本店 東京駅駅舎

 

●片山東熊は、ネオ・バロック様式を得意として、宮廷建築家として活躍しました。
代表建築に、迎賓館赤坂離宮、京都国立博物館特別展示館があります。

迎賓館赤坂離宮 京都国立博物館特別展示館
赤坂離宮は、片山が欧米を視察して、フランスのルーブル美術館やベルサイユ宮殿を参考にしています♪

 

赤坂離宮は、華麗な室内装飾が施されました。バロック様式で、外部はベルサイユ宮殿を模して造られました!内部は、部屋によって用途に合わせてふさわしい様々な様式のデザインでまとめられました。

 

●曾根達蔵は、大学卒業後、母校で教鞭をとっていました。三菱社に入社してのちに、事務所を開設しました。
代表建築に、慶應義塾図書館、旧鹿児島県庁舎があります。

 

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大正時代

第1次世界大戦が終結して大正デモクラシーと呼ばれる時代に入ります。

政府の指導による生活改善運動などが始まったことで、住生活に変化をもたらしました。

大正時代の前までは、薪を使っていたかまどや井戸を利用した「座り流し」から「立ち流し」へと変わっていきました。

中廊下式住宅

大正時代は、生活の近代化を目指す運動が起こり、都市では、電気、ガス、水道設備の整備が進みました。

合理性と機能性の追求が行われました。

中廊下式住宅が普及していきました。

中廊下式住宅の特徴は、中廊下を挟んで日当たりの良い南側に家族の生活空間を、北側には水回りと使用人の生活空間を配置しました。

さらには、玄関脇に独立した洋風の応接間を設ける様式も「文化住宅」という名で流行しました。

文化住宅は、大正時代から昭和時代にかけて流行した和洋折衷の住宅です。

応接室や玄関に洋風が取り入れられました。

関西では、木造2階建ての集合住宅を文化住宅と呼ぶことも…

 

 

またこの時代には、フランク・ロイド・ライトという、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエとともに、三大巨匠と呼ばれている人がいます。

フランク・ロイド・ライトは、アメリカの建築家で旧帝国ホテルの設計にあたって、大谷石を使った独特な造形をこころみました。内装空間や家具のデザインも注目された人です。

旧帝国ホテル
関東大震災にあったにもかかわらず、このホテルは無傷だったことでも有名です!

 

 

また、自由学園明日館も設計しました。

 

プレーリースタイルという建築様式で、屋根お低く抑えた建物が地面に水平に伸びて広がる構成が特徴です。

日本でプレーリースタイルを見ることができる希少な建築!!

 

建築だけでなく、インテリアのデザインでも注目された人です!

もちろん、家具もだよ♪

 

鉄筋コンクリート造と同潤会アパート

1923年の関東大震災は、組積造の建築が倒壊したため、鉄筋コンクリート造の普及を促しました!

また、火災も多かったことから鉄筋コンクリート造建築が普及しました。

 

復興期に建設された東京中央郵便局や同潤会アパートなどが生まれました。

同潤会アパートは、今の東京23区内や横浜に10数個所ほど建てられました!

次第に、同潤会の解散や老朽化に伴い姿を消していきました。

 

また、鳩山会館も代表建築にあげられます。

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まとめ

今回は、『【明治・大正時代】洋風建築・中廊下式住宅など建築・住宅や建築家について!』と題しまして紹介しました。

明治から大正時代には、西洋との関わりがなされて、関東大震災によって鉄筋コンクリートが普及していく時代になってきました。

洋風建築では、工部大学校に招かれたジョサイア・コンドルが教育に携わりました。鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館、岩崎邸などいくつもの建築の設計に携わった。

コンドルの教え子で、第1回卒業生の辰野金吾、片山東熊、曾根達蔵らも著名な建築物を手掛けました!

中廊下式住宅の特徴は、中廊下を挟んで日当たりの良い南側に家族の生活空間を、北側には水回りと使用人の生活空間を配置しました。

さらには、玄関脇に独立した洋風の応接間を設ける様式も「文化住宅」という名で流行しました。

フランク・ロイド・ライトは、アメリカの建築家で旧帝国ホテルの設計にあたりました!

1923年の関東大震災は、組積造建築が倒壊したため、鉄筋コンクリート造の普及を促しました!

同潤会アパートや鳩山会館が生まれました。

以上になります。

最後までご覧いただきありがとうございました!

 

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